民謡 - 北山糸萱

【対象者】
宮坂けさ子さん(七十九歳)篠原智加子さん(八十二歳) 島立たけゑさん(七十六歳) 
島立たきさん(七十七歳) 篠原次郎さん(八十一歳)
【内容】
ダンチョネ節などの聞き取り
※ 当時の様子
昔は、村の中の未婚の女性が十六、十七歳から参加した。結婚すると、お姑さんに気を使って、行かなくなったり、周りで見るだけだった。男性は、十六、十七歳から二十四、二十五歳ぐらいまでの村人や、他村から来た若い男たちだった。
女性は、夏は浴衣でお太鼓を結んで、下駄か草履を履いた。親が着付けをしてくれた。着物を着てもふんごみは履いた。男性は、縮みのシャツの上に浅黄の法被を着てふんごみをはいた。法被は「北山農業信用組合」と名入りの揃いの浅黄の法被(「しるし半纏」と呼んだ)。夏でも冬でも大概ふんごみをはいた。野良着やシャツにふんごみでも、浅黄の法被を着ただけで洒落た感じになった。夏の暑いときは、白地の浴衣に兵児帯を結びふんごみをはいた。ながき は明治から大正の人は着ていた。
踊りの機会は年に何回もあり、公民館の桜の木がある場所でやった。その後、辻でやることもあった。やぐら等の道具はなく丸く輪になって踊った。
器量の悪い女性が素晴らしい声で唄った時は、特別な唄い方と囃し方をした。
次の唄の出るまでに間があると「どうした、どうした」と冷やかした。
昭和二十四、五年くらいまでは盛んだったがその後は廃れ、今は行なっていない。
踊りは、行事がある時は組み入れることが多く、お花祭、お月見、お盆、原山などに行なった。お花祭は桜の花が咲くのに合わせて行ない、今のように休日とは限らなかった。踊りと芝居もあり、村芝居は小屋を作り、花道も作って、村が何組もの出し物を楽しんだ。



この企画は、平成24年度文化庁「地域の遺産を活かした観光振興・地域活性化事業」補助事業です。

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