長持 - ちの横内

10月上旬

道中長持ち(雲助)は棹が短く四間七・二メートル。前唄は「めでたなー」などで中の甚句は「おせやなー」などを唄う。
これに比べ宿場長持ちは殿様が見ている所で行われた。棹は六間十・六メートル。唄も長い。皇太子殿下(現天皇陛下)が上諏訪に来てホテルに泊まった時にお見せした。
よ組の名前は、江戸時代についた。横内から江戸に出稼ぎに行く人たちが居た。江戸両国によ組があり、その頭領との関係で横内によ組が出来た。
明治時代には「よ組」があった。
以前、塚原、他の隣接地区と争いがあった。その頃は、やっていたと聞いているが、その後、一、二回途絶えて昭和四十三年、消防のメンバー三十八人が、再興した。
御柱祭里曳き、小宮祭、区のお祭に行なっている(ちのどんばんは、五、六回出たがやめてしまった)。
小宮祭当日は、長持ち二棹が出た。「よ組」と書かれている黒い法被で、長持ち奉納、区内振込みを行なった。子どもたちによる泥鰌すくいも長く行われており、現在よ組会長の小川和彦さんは泥鰌すくいがはじめて行われたときにやっていたという。ホイ籠の赤い法被は、昔のよ組の衣装とのこと。



この企画は、平成24年度文化庁「地域の遺産を活かした観光振興・地域活性化事業」補助事業です。

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